瞳の片隅に初恋を感じる16時からの それもあ里っ沙

ハロヲタのための24のガヴォット第16番ホ短調

ハロコンに浮かれるサマーナイト

f:id:arisa0016:20190705153603j:plain

昔は7月に入るともうハロコンが始まっていて

7月の終わりにはハロコンが終わって

それぞれの単独ツアーが始まっていたね。

そのほうが青春18きっぷの使えるうちに

いろいろ行けて良かったんだけど。

 

今はハロコンの開催場所が増えて

夏いっぱいかかるようになったから

単独ツアーが始まるのも遅くなって

しかもユニットの数が増えて

日程がかぶりまくるようになった

9月は研修生発表会もあるしね。

 

とはいえハロコンはやっぱり楽しみだ

単独推しの人には評判悪いけど

1回の公演でハロプロの全ユニットを

見れるのはありがたい

それに日程かぶりを気にしなくていいわけだから

昭和と平成(2) 平成10年(1998年)

f:id:arisa0016:20190212205336j:plain

 

平成10年は モーニング娘。 メジャーデビューの年

ということは事実上ハロプロの始まった年 なのかも

1月28日に1期生5人(中澤 石黒 飯田 安倍 福田)が

モーニングコ-ヒー でデビューしたんですが

2nd.シングルの サマータウン では

2期生3人(保田 矢口 市井) が加わって

8人になっています。

 

モーニング娘。は加入と卒業を繰り返して

進化していく(メンバーの鮮度を保っていく)

ということに成功したわけですが

最大のポイントが2期生追加のタイミングでしょう

早すぎても遅すぎても大失敗する

まさに絶妙のタイミングだったわけで

残念ながらその後のユニットでは

あまりうまくいってないようです。

 

この時代のシングルCDはまだ8cmで

ジャケットは細長いやつでした。

カセットテープもよく使われていて

3rd.シングルのc/wになっていた 

例えば という曲には

♬古いカセットテープ巻き戻して聴いた二人は戻らない

なんて歌詞もありました

 

テレビ東京の ASAYAN も人気番組で

日曜日の午後9時からやってました。

ASAYANが終わると

明日は月曜日か と暗澹たる気分になることもありました。

 

 

何のために(ザ・フォーククルセダーズ) 1968年

f:id:arisa0016:20080722125731j:plain

何のために生きるのか

何のために戦うのか

何のために死ぬのか

 

当時中学生

いくら考えてもわからなかった

 

おそらく古今東西のメッセージソングで

最も重いテーマ

 

戦うことは殺すこと

戦うことは殺されること

 

時代はやがて凄惨な内ゲバの時代に突入してゆく

 

f:id:arisa0016:20190524151739j:plain

 

雨のバラード(ザ・スウィング・ウエスト)  1968年(昭和43年)

f:id:arisa0016:20190426074857p:plain

ケンミンショーを見てたら

福岡の ウェスト という店が出てきて

思い出したのが 

♬降りしきる雨の舗道

 頬つたう銀のしずく

 傘もささず歩いてた

 あ~あの人の後ろ姿が雨にけむる

 

この時代のものとしては屈指の名曲ですよ

洋楽の影響を受けて日本の歌謡曲

この頃から変わり始めましたね.

 

 

昭和ブルース(ザ・ブルーベル・シンガーズ) 1969年(昭和44年)

f:id:arisa0016:20151209170850j:plain

昭和のことを書こうとすると

データがことごとく消されていて

そんなに書かれたくないのかと思うけど

この曲はよく再アップされるようで

 

昭和44年=1969年 というのは

東大安田講堂攻防戦の年

戦後民主化に向かっていた日本が

再び保守反動化に向かい始めた年でもあり

アポロが月へ行った年でもあり

昭和の中でも結節点となる年でしょうね

 

平成は 衛生状態 治安 移動手段 通信速度 など

いろんなものが向上したけど

そのぶん 生きること に

問題意識を持たなくなった人が増えた

 

まさに 何も知らずに生きていく人

ばっかりになったのかも.