瞳の片隅に初恋を感じる16時からの それもあ里っ沙

ハロヲタのための24のガヴォット第16番ホ短調

2000年

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2000年=ハロプロが迷走を始めた年

 

2000年問題 という言葉は当時よく使われていたけど

それおは違う2000年問題 があった。

 

1997年にASAYANで行われたシャ乱Qロックボーカリストオーディションの

落選者5人を集めて結成された モーニング娘。 は

インディーズデビュー曲の 愛の種 5万枚を売り切り

1998年にメジャーデビュー すぐに2期生3人が加わり

その年のレコード大賞最優秀新人賞を受賞

このあたりASAYANの煽りも巧妙だったけど

何よりも楽曲が良かったし、メンバーも好感をもたれてた。

さらにネット上に次々と開設されたファンサイトも団結し

新人アイドルユニットとしては理想的なスタートを切った。

1999年には福田明日香が卒業したけれど これも結果的に話題を提供

その年のオーディションで後藤真希が加入してLOVEマシーンの大ヒット

平行して 太陽とシスコムーン  メロン記念日  カントリー娘。

いろんなユニットもデビューして ハロープロジェクトも軌道に乗った

ユニット内ユニットの タンポポ や プッチモニ も大志向

 

ここまでなら典型的なサクセスストーリーだった。

 

しかし2000年大きな変化が2つ

 

1つは シャッフルユニット

いくつかのユニットのメンバーをシャッフルして

あか組4 黄色5 青色7 の三色ユニットを作り

シングルを同時リリース

 

もう一つは4期生の加入 しかもそのうち2人は12歳

 

このあたりから楽曲のクオリティが低下をしはじめ

同時にファンサイトが荒れるようになってきた。

そして協力関係にあったASAYANとも微妙な関係に・・・